スポンサーリンク

この広告は一定期間(1ヶ月以上)更新のないブログに表示されます。
ブログ記事の情報が古い場合がありますのでご注意下さい。
(ブログオーナーが新しい記事を投稿すると非表示になります。)
  
Posted by   at 

リタイア。

2011年11月22日
実家の父親が

このたび、お世話になった会社を退職しました。






何度かこのブログ上でも書いたように

体調が思わしくなかったということと

やっぱり年齢もいっていて、年齢に会わんほどのハードな仕事やった、ってことで

どうしても続けることが難しくなったっていうことで

決断しました。

そして、このたび、原因不明の脳梗塞の原因もわかり、手術も決定しました。






第1子であるよめが母のおなかに生まれたころから勤めていた先の会社に20年以上勤続し、

その次に勤めた今の会社でも10年以上お世話になりました。

今の会社でお世話になるとき、もうすでにいい歳になっていた父ではあったものの、採用してくださった社長さん。

娘としてすごくうれしく思ったのは

年齢だけで判断されて終了、ではなく、面談し、その”かいしょ”出して物事をやる、

何かを生み出し続けてきた手や腕を見て

ほめらはったそうです。






今の職場に勤め始めて体力的にしんどいという一方で

いい同僚、それも同じ年頃の方々と、自分の子どもと同じ世代とに囲まれて

そういう意味では楽しかったようです。






よく、結婚式で嫁に行く新婦がスピーチで話す「父はぐち一つ言わず私たち家族のために仕事に一生懸命・・・」っていう

そういう「ぐち一ついわない」父ではなく、多少の愚痴は聞いた気がします。

でもそれが愚痴だけで終わるのではなく

自分というものがどうあるべきか、会社や仲間という和の中でどう行動するべきかを常によめに説いてくれていました。

それがよくも悪くも

よめの大きな人生勉強となっています。







離職を決意し、話をしにいったとき、

そしてその後もなんどか話をしにいったとき、

いつも「もうちょっと待ってみたら?体調の回復を待ってみて・・・」

と引き留めてくださったそうです。







父の職場の方でよめも知っている方たちは顔をあわせるとや

「とうちゃんどうやな?」「早く戻ってきてって言ってよ」「まだいろいろ教わらならんのやで」

などと、案じてくださり、激励くださり、戻ることを期待してくださっていました。

よく会う方は顔を見るたびに

「さみしいさぁ」「習わならんのやで」「まだよくならんけな?」と

声をかけてくださいます。






自分の父親がリタイアを余儀なくされたとき、

周りの方から惜しまれて、案じてもらえて、

そんなたくさんの声が

娘として本当にこころからうれしく

声をかけてくださる方々にお礼をいいながら涙が出そうになります。







まだこれから手術もあり、回復の程度もわからんけど

それでも

無事こうしてリタイアさせていただけることに本当に感謝しなければ、と思うのです。







十数年間お世話になった会社のみなさん、

最後までわがままを言って迷惑をおかけした社長さん、

娘としてしゃしゃり出るわけにいかんけど

本当に感謝しています。






ありがとうございました。






そしてよめや弟たちも一応の独立を果たし、

よめの今までの人生とともに父の仕事があったと思うと、

「定年退職」として

父をねぎらいたいと思うのでした。






自分で言ってはダメかもしれんけど

本当に

尊敬できる父で

それに感謝、です。














  
Posted by 大工のよめ  at 12:29Comments(2)せいかつ。