たられば。
2010年04月07日
飛騨市役所の裏に
LED蛍光灯(電球?)をつかった街路灯が設置されていました。
消費電力少ないので環境にやさしい。
虫が寄ってこない。
長持ちする。
などなど、
専門家に言わせるともっともっと利点の多いLED。
この「モノ」は
少々お高いけれど、
そのあとのランニングコストを考えると
お財布にもやさしいと思う。
こうやって
ひとつひとつ変えて行っ”たら”
一般家庭でもLEDを使うのが普通になっていくんでないろか?
(補助金とかつい”たら”いいね。)
子どもをもって
「環境にやさしい」って言葉に
すっごく引き寄せられるようになってまったよめ です。。。
話は変わって・・・
「老老介護」っていう言葉が
いよいよ自分の身近にも現実味を帯びてきました。
”老老”っていうのは普通は
老いた妻(あるいは夫)が老いた配偶者を介護する、ってな感じで使うんやろうけど、
老いた親(親夫婦)を老いた子ども(子供夫婦)が介護する、ってことも
老老介護っていう言葉を使ってもいいと思います。
昔と違って今は
長男が家を継ぐもの、とか
男の子が家を継ぐとか、
そもそも「家を継ぐ」とかいうこと自体が
なくなってまっとるのかもしれません。
でも、
何十年後か、あるいは、ひょっとしたら、(0ではない可能性として)
数年後、
自分が疲れた心を休めに立ち寄ることのできるはずの
「生家」「実家」が
もう、無くなってまうのかと思うと、
つらく、悲しくてしかたないのです。
そして、
なくなってしまうとわかっている、その家で、
楽しかった思い出を抱えながら
老いて行く親の姿を想像すると
子としてはつらいのです。
どうしてそんなに簡単に出て行くことを決めることができるんやろう?
こんなとき、
自分のどうしようもない甲斐性のなさ、
自分がフットワーク軽く動き回れない状態である現状、
すべてのことが歯がゆく、
重くのしかかってきます。
せめて、賢ければ、
せめて、金銭に余裕があれば、
せめて、自由に動けるならば、、、、、
「たら」「れば」が
キリないです。
自分の親だけは、
せめて、
そうはさせたくなかった・・・。
よめは
悩んでおります。。。
Posted by 大工のよめ
at 23:29
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│せいかつ。