あこがれ。
2010年02月24日
あこがれの
じじの腕時計。

早く大きくなって
じじみたいに
腕っ節の強い男になりたい
こうちゃんなのです。
さて、
親子はいつまでたっても親子や、とみんな言います。
こうちゃんは今、よめのことを
「ママ」と呼んでいます。
いつまでたってもママでは
いくらなんでも
本人としても親としてもはずかしいので
「おかあさん」と教えとったんやけど。
いざ呼ばれると
くすぐったいながらも
やっぱしかわいいと思ってしまいます。
ってか、
どっちでもいいんや、呼び名は。
結局、
なんだかんだでいつも
母親のことを
求めてくれとることが
うれしいんやな~(*^。^*)
でも、
もう少し大きくなったら
「お母さん」に
軌道修正しならんと思っとります。
で、
いくらいつまでたっても親子でも
親離れ、子離れはちゃんとできるようにしておかならんな、といつも思うのです。
60になっても80になっても
子どもにべったり、
親にべったりでは
子どもはいつまでたっても自立できん。
でも本人たちは
自立したつもりでおるでこわいんやさな~。
子どものためにならんし
その子の子もそういう子になってまう(親の姿を見て子は育つから)し。
その子の新しい家族に
目に見えん大きな迷惑がかかってまう恐れがある、と思うのです。
いい意味で
「いつまでたっても親子」でおりたい、と、
思うのです。
子どもがかわいいから、
子どもの生活が本当に大事やと思うから、
そう思うのです。
そんな年取ってから
親が
「子どものため」とか言うのって
よくよく考えてみると
親の「自己満足」なだけ、ってことってよくあると思う。
自分自身がそういう風になりかねんと思う。
ある出来事があって、
いくらなんでも
私は
子どもが30超えるまでには
親子ともども
ちゃんとかいしょうをつけておきたいな、
と思ったのでした。
じじの腕時計。

早く大きくなって
じじみたいに
腕っ節の強い男になりたい
こうちゃんなのです。
さて、
親子はいつまでたっても親子や、とみんな言います。
こうちゃんは今、よめのことを
「ママ」と呼んでいます。
いつまでたってもママでは
いくらなんでも
本人としても親としてもはずかしいので
「おかあさん」と教えとったんやけど。
いざ呼ばれると
くすぐったいながらも
やっぱしかわいいと思ってしまいます。
ってか、
どっちでもいいんや、呼び名は。
結局、
なんだかんだでいつも
母親のことを
求めてくれとることが
うれしいんやな~(*^。^*)
でも、
もう少し大きくなったら
「お母さん」に
軌道修正しならんと思っとります。
で、
いくらいつまでたっても親子でも
親離れ、子離れはちゃんとできるようにしておかならんな、といつも思うのです。
60になっても80になっても
子どもにべったり、
親にべったりでは
子どもはいつまでたっても自立できん。
でも本人たちは
自立したつもりでおるでこわいんやさな~。
子どものためにならんし
その子の子もそういう子になってまう(親の姿を見て子は育つから)し。
その子の新しい家族に
目に見えん大きな迷惑がかかってまう恐れがある、と思うのです。
いい意味で
「いつまでたっても親子」でおりたい、と、
思うのです。
子どもがかわいいから、
子どもの生活が本当に大事やと思うから、
そう思うのです。
そんな年取ってから
親が
「子どものため」とか言うのって
よくよく考えてみると
親の「自己満足」なだけ、ってことってよくあると思う。
自分自身がそういう風になりかねんと思う。
ある出来事があって、
いくらなんでも
私は
子どもが30超えるまでには
親子ともども
ちゃんとかいしょうをつけておきたいな、
と思ったのでした。
Posted by 大工のよめ
at 12:03
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