日常。
夕方、
暑くて窓を開け放った2階で
山ほどの洗濯物を畳んでいました。
すると、
外へ散歩に出たこうちゃんの甲高い声と、会話するたーたんの声が
聞こえてきました。
まだ3歳の子どもの話は
聞いとるとなんかおかしくて
独りできいとるのに笑えてきて。
そこにひく~い声で、でも3歳児にあわせて会話するたーたんとのやりとり。。。
会話する二人の表情を想像しながら
こうちゃんのまだまだ小さいタンクトップと
着古したたーたんの作業着を畳んでいました。
毎日聞いとる子どもや主人の声を
言ってみれば、ただ耳にしただけのことなんやけど、
世の中の母親っていうのは
たぶん、
こういうのにとても幸せを感じるもんやと思います。
よめも
母親になってこんなごくごく普通の日常に
ふと幸せを感じるようになりました。
こうやって
毎日を積み重ねて
子どもが増えたりして
その子たちが大きくなっていって
声の出方も遊び方も変わって行って
いずれ
外でこんな響く声で騒ぐこともなくなっていって
大人になっていって。
独立してよそへいくのか
はたまた
お嫁さんでももらっていっしょにおってくれるのかわからんけど
そうやって
何十年さらに年月を積み重ねて。
いつか
「そのとき」が来たときは
こういう、
なんでもない日常の
声や気温やにおいや感触や・・・
そういうことを思い出すんかなぁ~、なんて
ふと思ってしまいました。
去年
実家のばあちゃんが亡くなった時
自分の子どもたちがそろって
子どもたちだけが自分を囲むようなふうになると
安心したかのように
ふっと
旅立って行った、
そんなことをおばちゃんが言っていました。
こんこんと眠るなかで
ばあちゃんはよめが今日感じたような日常を
ひょっとしたら感じとったというか思いだしとったんかなぁ、と重ねたのでした。
今日、
本当にすてきな母親、
あこがれの女性、の
旅立ちの知らせを聞きました。
本当に
いつも元気で
とにかくすてきな笑顔でいつもてきぱきとアクティブなヒト。
あこがれ、でした。
昨日までの猛暑もすこし落ち着いた
過ごしやすかった今日の夕方。
その方が
いつも家族を想っていろんなことを
にこにこと元気にやってみえる姿が目にうつりました。